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不動産豆知識

畦畔のはなし

畦畔とは

畦畔(けいはん)とは田畑の端にあって、通行、施肥、保水など、田畑本来の用途である耕作以外の用途に供せられる細長い土地部分のことで、「あぜ」、「青地」、「くろ」などとも呼ばれており、高低差のある農地間の傾斜地とか、水路、農道の「のりしろ」も畦畔と呼ばれることがある。

 明治時代の地租改正時の測量で、この畦畔が本地の面積に含まれている場合、それを「内畦畔」と呼び、含まれていない場合は「外畦畔」と呼ばれた。

 江戸幕藩時代には畦畔を含めては測量せず、地租改正時もその扱いが踏襲されたが、その後は畦畔も含めて測量し、地券に畦畔歩数を記載するという扱いに変わり、その後は地域、測量者によって扱いが異なり、帰一しなかった。しかし昭和10年の訓令で内畦畔扱いが原則となり、土地台帳などには「田一反一畝二七歩 内畦畔一八歩」と書かれた。

 内畦畔、外畦畔の所有権はこれを開設した本地所有者の所有に帰するもので、公図上では、青(場合によっては緑色、薄墨色)で着色されたり、複線で一方が朱色とか点線の場合もあった。もちろん、畦畔開設がさほど古くなく、公図上に何ら特徴ある記載はされず、境界だけが実線で書かれている場合もあった。

 ところが無価値化して放置された畦畔とか、不特定多数の公衆が使うようになった畦畔は本地所有者が所有を主張しないので、所有が明らかでなくなり、いわゆる「二線引畦畔」の問題が起こるようになった。

 二線引畦畔には不特定多数の公衆使用の農道が多いが、公図上では二本の複線で記載されているのが特徴とされ、地番は付せられていない。
 二線引畦畔は昭和30年以降、国は国有であり、公衆利用のものは公共用財産、そのほかのものは大蔵省所管の普通財産である、という見解を発表した。

 現在、この二線引畦畔については、果たしてすべてが国有財産といえるか、時効取得は可能かという問題がある(最高裁判所は昭和51年12月24日、公共用水路につき、昭和52年4月28日、里道につき、黙示的用途廃止説のもとに時効取得を認めた。以上につき篠塚・宮代・佐伯著「境界の法律紛争」81頁以下参照)。

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