杉山不動産鑑定

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不動産豆知識

公図のはなし

まずは公図の歴史から・・・

かつて、土地の大部分は農地であり、領主、支配者は農民から年貢、地租を徴収して財源を賄うのを常とした。太閤秀吉が大規模な検地(太閤検地)をしたり、徳川吉宗が1726年、太規模な検地(享保検地)を行ったのは、いずれもこの地租徴収のためであった。

この享保検地の際に「検地帳」が作成され、これには、土地の所在(字名、地番)、土地の等級(上、中、下)、面積、所持者が一筆(一行)で記載されていたので、その後、一個の土地を「一筆」と呼ぶようになったということである。

  江戸幕府は藩に命じて「国絵図」を作成させ、村も各自に「村絵図」を作成したところがあるが、いずれも道路、河川などを俯瞰した、大雑把な見取図であった。

 また、江戸時代の検地の際には地番を入れた「地引絵図」などが作成されたが、これらも現地復元力のない、見取図的なものであった。

 日本において土地の近代的所有権が確立したのは、明治維新後である。明治4年、廃藩置県が行われ、明治5年、土地売買の自由が認められ、官有地、私有地などに地券(壬申地券)が発行されたが、この地券は一地、すなわち一筆の土地ごとに発行された。この地券発行は地租制度改正のためであり、明治6年、地租改正の太政官布告がなされ、全国的に土地調査と地価の確定がなされた。当時、私有地の8割は農地であり、一筆ごとの地押丈量(測量)が行われ、市街地の宅地についても地券が発行され、明治14年、この事業は終わった。

 この地租改正に伴う地押丈量には農民の抵抗が予想され、現実に騒擾が頻発したので、政府は地押丈量をほぼ人民に任せ、官は補充的検査をするにとどめた。

 この地押丈量においては一筆の土地の位置、形状、地番、面積を記載した「野取図」または「一筆限図」が作成され、これを字単位に連合した「字限図」、村単位に連合した「村限図」が作成、提出された。

 これら三種類の絵図は「野取絵図」または「字図」と総称され、土地台帳制度における地図、すなわち「公図」の原型となった。

 当時、農地の測量は全土地について行われたのではなく、一字数カ所行われたに過ぎず、あとは歩測、目測であった。しかも、測量方法は十字法、三斜法という原始的なもので、誤差が30分の1までは許容された。  宅地の測量は農地よりは多少良かったが、山林原野は殆ど実測されず、目測、歩測に頼った。

 明治17年、新たに土地台帳が課税台帳となり、役場がこれを管理するようになったが、この台帳には付属地図を備え付けることになった。
しかし,前記「野取絵図」は粗雑なものであったので、明治18年から22年にかけ、絵図の更正がなされ(実際に更正のための実測をしたのは山口県など5県で、ほかは必要に応じて更正し、全国の約3分の1の土地について更正が行われた)、新たに作成された地図は「地押調査図」または「更正図」と呼ばれた。

 明治22年、地券制度は廃止され、土地台帳が課税台帳となり(保管者は府県庁、村役所)、この「更正図」が土地台帳付属地図、すなわち「公図」となった。

公図を扱うのは法務局となる

戦後の昭和22年、土地台帳法が制定施行されたが、シャープ勧告により固定資産税は市町村が扱うことになったので、国の行政官署である税務署は土地台帳事務を行う必要がなくなった。そこで昭和25年以降、税務署にかわって法務局が土地台帳、付属地図、いわゆる公図(上記明治18年から22年にかけて作成された「更正図」)を扱うことになった。この公図の殆どは600分の1または1200分の1地図である。

公図の存在意義の変化

昭和35年、不動産登記法の改正により、土地の表示は土地台帳ではなく、登記簿の表題部に記載されることになった(登記簿と土地台帳一元化)。これにより土地台帳及びその付属地図(公図)はその存在意義を失ってしまった。

不動産登記法17条は公図にかわり、地図(この地図を「17条地図」という)と建物所在図を登記所に備えることを規定した。
1997年現在、昭和35年以降、法務局が作成した17条地図は全国で1800枚に過ぎない。そこで不動産登記事務取扱手続準則28条は、国土調査法に基づいて作成された地籍図及び土地区画整理法に基づいて作成された換地図、土地改良法により作成された確定図(換地図、確定図は土地所在図といわれる)は原則として、不動産登記法17条の地図とされ、1997年現在、地籍図が約130万枚、土地所在図が55万枚といわれている。
これだけでは不足なので、昭和52年、不動産登記事務取扱手続準則29条は古い公図も地図に準ずるものと規定し、1997年現在、この公図数は約250万枚とされている。

(1)本来の不動産登記法17条地図・・・・1800枚

(2)不動産登記法17条地図に準ずる地図その1・地積図、土地所在図・・・・185万枚

(3)不動産登記法17条地図に準ずる地図その2・公図・・・・250万枚

このように不動産登記法17条の地図には、広義では(1)の本来の17条地図のほか、(2)の地籍図、土地所在図、(3)の公図を含むが、近代的測量技術で作成され、現地復元力を持っているのは(1)(2)の地図であり、(3)の公図はその作成の歴史、方法からしても、現地復元力はなく、単に土地の位置、形状、面積の概略を示すものに過ぎないことに注意すべきである(不動産法17条が地図として認める図面は平板測量、トラバース測量(多角測量)によって作成され、現地復元力を担保するため、コンクリート、または金属の境界標を記入するか、それが不可能の場合は、橋桁とか、鉄柱支柱など恒久的なものを基点として記入することが必要とされ、縮尺はおおむね250分の1または500分の1である。不動産登記事務取扱手続準則25条)。

 法務局備え付けの17条の地図、準17条の地図はすべて手数料を払えば、誰でも写しの請求、閲覧ができる(不動産登記法21条1項)。

公図の問題点

上記のように、公図は正確性に欠点があり、現地復元力がないが、土地の位置、形状、一応の面積、境界が直線か曲線かなどについては一応の証明力を持つから、公図が現状と異なる場合、公図の訂正(不動産登記事務取扱手続準則113条)という問題が起こる。

境界が現状と公図とで異なっていても、必ずしも公図の訂正が認められるとは限らない。現状の方が間違っている可能性が大きいからである。例えば、公図の境界がジグザグ線の場合、現状の境界が直線の場合は恐らくはそうであろう。

公図の訂正が認められない場合、行政訴訟は提起できない。

法令上、この訂正申立に、利害関係人の同意書添付は必要でないが、実務上は必要とされている。この同意書獲得は困難なことが多い。 高度成長時代に行われた無責任な宅地造成販売の結果、地図混乱地域が続出した。区画整理や公図訂正なしに多量の宅地を造成し、販売した結果、公図境界と分譲地境界が一致せず、地域全体が混乱してしまった。このような地域を地図混乱地域と呼ぶのである。

この地域では厳密な意味での境界確定を行うことは極めて困難であり、所有権範囲の確認で処理する方が妥当であろう。
この地図混乱を解消するには、改めて区画整理事業を行うか、国土調査法に基づく地籍調査をして貰うかであるが、いずれも実施はなかなか困難である。

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